【重要文化財|旧徳川家 松戸戸定邸】 水戸徳川家の明治時代邸宅。行き方、見学のしかた


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1 アクセス詳細情報
 1-1 ピンポイント案内マップ
 1-2 鉄道
 1-3 バス
 1-4 駐車場

2 見学のしかた (開館時間、注意事項など)
 2-1 建物の見学
 2-2 庭園の見学

3 訪れた時の様子 (写真多数)

4 旧徳川家 松戸戸定邸、名勝庭園の説明

5 問い合わせ


松戸戸定邸(まつど とじょうてい)は、水戸徳川家の最後の藩主、徳川昭武(とくがわ あきたけ)が、明治維新後の明治17年(1884年)に建てた住居です。日本を260年余りも支配し続けた家系がかつて居住していた城に比べれば、かなり規模が小さくなっていますが、現代の私たちからすれば、十分に立派な純和風建築。明治時代の徳川家住宅としてほぼ完全な形で現存しているのは、日本でここだけです。内部は一般公開され、明治時代の華族邸宅の様子を、じっくりと楽しむことができます。




1【アクセス詳細情報】

1-1 アクセスマップ


松戸戸定邸は、赤マーカー1



1-2 最寄りの駅から徒歩

JR、新京成 松戸 駅 東口から、徒歩約13分(900m)。
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1-3 バス

経路 1
JR、新京成 松戸駅 東口 3番バスのりば(上の地図・紫4)
松戸新京成バス
松21・松23系統 「市立東松戸病院」行き
または
松22系統 「梨香台団地」行き
 ↓
 ↓ [運行頻度] 1時間に2〜3本
 ↓ [運賃] 170円(全国共通交通系ICカード可)
 ↓ [乗車時間] 3分
 ↓
戸定歴史館 バス停(地図・紫6)
 ↓
 ↓ 徒歩約3分
 ↓
現地


経路 2
松戸駅 西口 7番バスのりば(地図・紫5)
京成バス
松54系統 「市川駅」行き
または
松52系統 「聖徳学園」行き
 ↓
 ↓ [運行頻度] 1時間に1〜5本
 ↓ [運賃] 170円(全国共通交通系ICカード可)
 ↓ [乗車時間] 3分
 ↓
戸定歴史館 バス停(地図・紫6)
 ↓
 ↓ 徒歩約3分
 ↓
現地

松戸新京成バス、京成バスの時刻表、料金検索は、各種乗り換え案内アプリ、Google Map ルート案内機能が対応しています。
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1-4 駐車場

付属の無料駐車場が二つあります。
いずれも、松戸戸定邸のすぐ北側です。
下の画像は、地図・紫2
30台ほど停められそうです。

下の画像は、地図・紫1
こちらは10台くらいでしょうか。
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2 【見学情報】

2-1 建物の見学
松戸戸定邸(まつど とじょうてい)は、内部が一般公開されています。

開館時間、入館料などの最新情報は、公式HPを参照してください。


以下、2020.12 戸定邸見学情報
[開館時間]
9:30〜17:00(最終入館は16:30)

[入館料]
250円 各種割引あり。

[休館日]
月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12/28〜1/4)


トイレ
邸内にあります。

飲食店
邸内にはありません。
また、邸内は飲食禁止です。(飲み物も不可)

写真撮影
公式HPに制限事項は見つけられませんでした。
現地では、みなさんが撮影を楽しんでいらっしゃいました。
ただ、動画撮影や三脚などの使用が可能かどうかは、受付で確認された方が良いでしょう。
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2-2 庭園の見学
国の名勝に指定されています。
が、通常は、屋敷内から見るだけ。
庭園に入れるのは、5の倍数の日(毎月5日、10日、15日...)だけです。

また2020年6月から当面は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
庭園に入れるのは10の倍数の日のみ(毎月10日、20日、30日)となっています。

入園制限があるのは、現地案内地図の赤く囲った部分のみ。それ以外の公園エリアには制限はありません。
(画像クリックで高画質)

詳細は、戸定邸に電話で確認してください。
047-362-2050 (2020.12)
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3 【訪れた時の様子】

駐車場の前の、敷地の入口。地図・紫3


入口の門を、内側から。

戸定邸の外観。生垣の中に庭園が広がっているのですが、この日は庭園には入れませんでした。
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戸定邸の玄関です。
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手持ちのスマートフォンが、オーディオガイド機として使えるようです。
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文化庁が発行した重要文化財指定書

使者の間。
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とても綺麗に手入れされた中庭がありました。
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表座敷
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欄間には、こんな彫り物が。
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表座敷から見た庭園。

内蔵。

内蔵内部。

洗面所。
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奥座敷

湯殿
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離れ座敷への廊下。
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離れ座敷
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戸定邸がある歴史公園。
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4 【旧徳川家 松戸戸定邸、名勝庭園の説明】

水戸藩最後の藩主・徳川昭武(とくがわあきたけ)が建てた戸定邸の敷地の内、約三分の一は戸定が丘歴史公園として整備公開されています。公園内には徳川昭武と彼の兄徳川慶喜の資料を展示する戸定歴史館、徳川昭武が住んでいた戸定邸(国指定重要文化財)と庭園(国指定名勝)があります。
旧徳川家松戸戸定邸(きゅう とくがわけ まつどとじょうてい)は、明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る全国で唯一の建物です。約2年の建設期間を経て明治17年(1884年)4月に座敷開きが行われました。増築を経て、現在は9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23に及びます。旧大名家の生活空間を伝える歴史的価値が、高く評価されています。
江戸時代の大名屋敷の系譜上にありながら、徳川家が権力の座を離れたため、生活様式は大きく変化し、規模が著しく縮小しています。建物は大きく三つに分けられます。来客や他家との交際に使う区画、家族が暮らす区画、そして職員のための区画です。各区画の性格に応じて、建物の構成や材木の質が異なっています。
松戸戸定邸公式HP


旧徳川家松戸戸定邸は、水戸徳川家の第11代藩主の徳川昭武が中心となって建てた住宅で,竣工は明治17年(1884年)4月である。南にある表座敷棟を起点として,各棟が連続もしくは渡廊下で結ばれている。表座敷棟、中座敷棟、奥座敷棟、離座敷棟、玄関棟、台所棟、湯殿、内蔵からなる。
表向きの表座敷棟をはじめ,各座敷棟,玄関棟から内向きの施設まで全体がほぼ完存している大規模住宅として,重要である。洋風を意識した庭園を築きながら,建物は基本的に伝統的な形式を用いており,明治前期における上流住宅の様態の指標となるものとして,歴史的価値が高い。

下総台地の最西端にあたり、江戸川とその左岸の低地に臨む松戸の戸定が丘の突端には、徳川幕府第15代将軍徳川慶喜の異母弟で水戸藩最後の第11代藩主であった徳川昭武(1853~1910)の邸宅とその庭園がある。戸定邸と呼ばれた邸宅とその庭園は、西方に広がる江戸川の川面を近景として、その遥か彼方に富士山をも遠望できる立地を生かし、緩やかに起伏する芝生地とその縁辺を彩る一群の植樹、西側の傾斜面の常緑・落葉広葉樹を中心とする豊かな樹叢などから成る風致に富んだ景観構成を持つ。
昭武が戸定邸の造作に着手したのは、明治9~14年(1876~81)のパリ留学から帰国した翌年のことであった。隠居した後の明治17~19年(1884~86)には居宅の建築、明治20年(1887)に南へ拡張した区域を含め、明治23年(1890)頃には庭園を含む邸宅の敷地全体の造作を、それぞれ完了した。昭武の日記である『戸定備忘録』及び邸内の職員の日誌である『戸定邸日誌』によると、土地の取得及び庭園の樹石の調達には松戸の有力者であった安蒜権左衛門(あんびるごんざえもん)の助力があったこと、植樹及び芝の植え付けには植木屋の与八・銀次郎、庭石の据え付けには石工の宮口平兵衛などの職人が関わったこと、さらには玄関先のヒヨクヒバ及び芝生地東辺のコウヤマキなど現在も残る庭園の古樹は当初からの植樹であったことなどが判る。
隅田河畔の小梅にあった水戸徳川氏の本邸から松戸の戸定邸へと移住した昭武は、近郊の山野・河川において銃猟・魚釣りを楽しんだほか、邸内での作陶及び写真撮影にも積極的に取り組んだ。特に、庭園の南半部の楽焼窯で製作した作品に「戸定焼」と名付けたほか、6年の短期間に邸内及び松戸近郊の風景を撮影した数多の写真を残した。
邸宅の敷地は、建築とその四周の庭園が広がる戸定が丘の上面の平坦部と、その西側の常緑・落葉広葉樹の樹叢に覆われた傾斜面から成る。庭園は概ね5つの部分に分かれ、第1は邸宅の正門である敷地北端の茅葺門から玄関に至る導入路、第2は玄関棟・中座敷棟・表座敷棟・渡り廊下棟などに囲まれた中庭、第3は中座敷棟・奥座敷棟・離れ座敷棟の西側から北側にかけての庭先、第4は表座敷棟の西側から南側にかけて芝生地が広がる主庭、第5は主庭のさらに南側の四阿・楽焼窯などが存在した樹叢の区域である。これらのうち、主庭では表座敷棟から南に向かってなだらかな起伏と緩やかな上り勾配を持つ芝生地が広がり、その南・東・西の三方を高木の植樹及び常緑・落葉広葉樹の樹叢が取り囲む。特に芝生地の縁辺部には、アオギリ・コウヤマキなど作庭当初の植樹がそのまま残っている。芝生地は散策の場であるとともに、テーブル・椅子を用いた飲食、子どもたちのボール遊びの場となった。表座敷棟の客間の床前及び西側の縁先からは、今もなお江戸川とその河畔を近景として、東京の街並みの彼方に富士山の形姿を遠望することができる。
昭武が亡くなった明治43年(1910)以降は次男の武(たけ)定(さだ)が邸宅及び庭園を譲り受け、第二次世界大戦後の昭和26年(1951)に松戸市に寄贈した。その間、昭武が手掛けた敷地の主たる地割に大きな変更が加わることはなく、築造当初の庭園の意匠・構成の特質は今日に至るまで良好な状態を維持し続けてきた。
以上のように、旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)は明治中期に松戸・戸定が丘の上面及び縁辺の立地を生かして築造した庭園で、主屋である表座敷棟の南に広がる芝生地、その周囲を縁取るように連続する植樹、傾斜地を中心に広がる常緑・落葉広葉樹の樹叢、江戸川の河畔及び富士山の借景を主体とする簡素で平明な意匠・構成は同時代の庭園の特質をよく表している。その芸術上の価値及び日本庭園史における学術上の価値は高く、名勝に指定して保護を図るものである。
文化庁データベース
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5 【問い合わせ】

戸定歴史館へ。
電話番号 047-362-2050
こちらのページからメールで問い合わせ可能。


このページは、以下の記述などを参照しています。
戸定歴史館 公式HP
文化庁国指定文化財等データベース
現地案内看板
現地配布パンフレット


201128, 170922

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